第1章:踏切に飛び込んだ老女が名乗った名は「上野とみ」
1988年(昭和63年)6月17日午後7時2分。
水戸市城東三丁目のJR常磐線踏切で、1人の高齢女性が列車に飛び込む姿が目撃されました。
直後、激しい衝突音とともに女性は負傷。救急搬送され、国立水戸病院に入院。
事故直後、彼女は意識があり、こう名乗ったといいます。
「上野とみ、88歳です」
だが、それ以上の身元情報は語られず、
住所・本籍・家族構成などはすべて不明のままでした。
第2章:所持品はナップザックと現金283,466円──なぜ大金を?
彼女の身なりは質素で、身長140cmの小柄な体型。
やせ型で白髪をパーマに整え、着衣も一般的な高齢者らしいもの。
靴のサイズは23cm、女性として標準的。
だが彼女が所持していたのは、驚くべき現金283,466円。
それは、普段から持ち歩くにはあまりに多額な金額です。
可能性としては:
- 家を失っており、すべての所持金を身に付けていた
- 銀行に不信感を抱き、現金で生活していた
- 自殺を決意し、現金を誰にも残さないために持っていた
高齢者が大金を現金で持ち歩く背景には、過去の戦中・戦後体験、銀行口座を持たない生活慣習、あるいは社会的孤立が隠れていることもあります。
第3章:「上野とみ」は本名か、偽名か?
最も注目すべきは、「自ら名乗った名前」が本名と確認されなかったことです。
当時の調査では、
- 戸籍や住民登録に「上野とみ(88歳)」に該当する人物が見つからず
- 身分証明書などの所持もなし
- 警察の捜査でも親族・知人の申し出は皆無
つまり、この名前は、
- 偽名であった
- **通称(幼名、旧姓)**だった
- 実在するが年齢・地域が違った
いずれかである可能性が高いと考えられます。
なぜ彼女は偽名を名乗ったのか?
あるいは、偽名ではなく、生涯使い続けてきた本来の名だったが、戸籍からは消されていたのかもしれません。
ただ、状況を考えると咄嗟に偽名を使うとは少々考えにくいとは思います。
第4章:引取人は現れず、“行旅死亡人”として火葬
6月20日午前2時5分。
彼女は事故の外傷(外傷性腎破裂)による急性腎不全で死亡。
その後、身元引受人は現れず、行旅死亡人として火葬されました。
遺骨は水戸市の堀町公園墓地に安置。
地方自治体による無縁仏としての処理がなされました。
自らの名前を語り、28万円以上の現金を持っていながら、**彼女の存在は“記録上消された存在”**となったのです。
第5章:なぜ彼女は死を選んだのか?
所持品の中には、「遺書めいたメモ」もあったとされています。
この記述の詳細は不明ですが、警察は「覚悟の自殺」と判断しました。
では、88歳という高齢で、彼女をそこまで追い詰めたものとは何だったのか?
- 介護を拒絶し、一人で最期を選びたかった
- 家族との関係が断絶していた
- 長年の孤独や健康不安、経済不安
- 戦争体験・戦後の苦労が心に影を落としていた
88年の人生を生き抜いたその人が、最期に踏切を選んだことは、
「誰にも迷惑をかけない死」を求めたという日本特有の“死生観”の現れでもあるかもしれません。
まとめ:「上野とみ」の名前と、私たちの記憶に残すこと
名前を語ったのに、名乗り損ねた女──
彼女が残したものは、現金でも、衣服でもなく、「私の名前を、どうか覚えておいて」という最後の言葉だったのではないでしょうか。
名前が正しかったのかどうかは分かりません。
けれど、「上野とみ、88歳です」と語ったその声は、昭和という時代に生きた一人の女性の証言として、記録し続けるに値するものです。



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