なぜ彼は中学校の更衣室を選んだのか──足立区・無名男性の謎

第1章:発見現場──中学校のプール更衣室という異例の場所

1987年(昭和62年)10月28日。
東京都足立区梅島一丁目にある区立足立第四中学校の敷地内にあるプールの男子更衣室で、ひとりの男性が遺体で発見されました。

場所は、児童や教職員にとって日常的な空間。
その更衣室に、突如として身元不明の大人の男性が“死んでいた”という現実は、当時の地域社会に少なからぬ衝撃を与えたと想像されます。

事件性は否定され、死因は自殺とされました。
しかし、なぜあえて“中学校の更衣室”という特殊な場所を選んだのか──その理由は、今も誰にもわかりません。


第2章:遺体の特徴と遺留品から見える生活の断片

発見された男性には、次のような特徴がありました:

  • 年齢:推定35歳
  • 身長:168cm、やせ型
  • 頭髪:職人刈(短く整えた刈り上げスタイル)
  • 身体的特徴:右下腹部に4cmの手術痕あり
  • 入れ墨:右上腕に女性の顔の入れ墨

また、所持していたものは以下の通り:

  • 現金922円
  • 腕時計(ALBA社製、黒いゴムバンド)
  • 鍵一個(鍵の用途や合鍵の有無は不明)

この所持品と身体特徴からは、日雇い労働や建設業に従事していた可能性が推察されます。
「職人刈」という髪型、ALBAの実用時計、少額の現金──どれも「都市の下層で働く無名の労働者」のイメージと一致します。


第3章:なぜ「中学校の更衣室」だったのか?動機をめぐる推察

自殺の場所として、中学校の敷地内、しかもプールの男子更衣室という選択は非常に異質です。
公共性が高く、日中は多くの人が出入りする場所──それでも、なぜここだったのでしょうか?

想定される動機:

  • 人目を避けて夜間に侵入し、確実に人がいない場所を選んだ
  • 過去にこの中学校や近隣に関わりがあった人物だった可能性

また、鍵を1本所持していたことから、「どこかの施錠設備に出入りしていた」可能性も否定できません。


第4章:「入れ墨の女」は誰だったのか──消えた人間関係

男性の右上腕には「女性の顔の入れ墨」が刻まれていたという記録があります。
名前ではなく“顔”という選択は、非常に象徴的です。

通常、入れ墨に顔を彫るのは:

  • 個人的に強く愛した相手
  • 失った者への記憶の固定
  • 過去の“誓い”や“関係性”を身体に刻む行為

この女性が誰だったのかは、現在も不明です。
愛した相手、離別した家族、あるいは実在しない理想像かもしれません。
しかし、この入れ墨は確かに、この男性が“誰か”を忘れられなかった証であるとも言えます。


第5章:「無名」のまま終わる命──行旅死亡人の制度と現実

この男性は、戸籍も住所も家族も不明のまま、行旅死亡人として火葬・埋葬されました。

行旅死亡人とは?

  • 道端や公共施設等で身元不明のまま死亡した人を、行政が一時的に保護・処理する制度(行旅病人及行旅死亡人取扱法に基づく)
  • 自治体が遺体を火葬し、一定期間遺骨を保管
  • 官報や市報に掲載し、心当たりのある家族や関係者からの連絡を待つ

しかし、この制度は**「最小限の尊厳」と「最大限の匿名性」で処理される仕組みでもあります。
火葬されたあとも、その人が
どんな人生を送り、何を思ってこの場所を選んだのか**──すべては記録に残りません。


おわりに:名前のない記憶を、記録として残すために

この男性は、昭和62年のある秋の日に、中学校の更衣室でひっそりと息絶えました。
名前もなく、物語も語られることのないまま。

だが確かに彼は、ここに存在し、何かを思い、誰かを愛し、そして何かを選んで、命を終えた。

私たちは今、それを「ひとつの記録」として受け止めるしかありません。
しかし、その記録を忘れないことが、都市に生きる人間の尊厳の最低限ではないでしょうか。

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