第1章:逗子海岸で起きた“見えない事件”
1988年(昭和63年)6月9日、神奈川県逗子市。
新宿一丁目の逗子海岸に設置された中央公衆便所で、汲み取り作業をしていた作業員が異変に気づきました。
便槽の中に、黒いビニール袋が沈んでおり、中からは新生児の遺体が発見されました。
赤ちゃんは、妊娠40週程度の満期児とされ、身長50センチ・体重1,940グラム。
明らかに出産直後の状態で、ビニール袋に入れられて遺棄されていたのです。
第2章:汲み取り式トイレが残っていた時代背景
現在では考えにくいですが、1980年代末の日本でも、汲み取り式(非水洗式)公衆トイレは珍しくありませんでした。
特に海岸沿いの仮設トイレや古い公園施設では、くみ取り車による清掃が日常業務として行われていた時代です。
この事件が起きた「逗子海岸中央公衆便所」もその一例であり、
密室性が高く、目撃されずに遺棄が可能だった点が、悲劇の温床となりました。
第3章:死産児──しかしその意味は重い
検視の結果、赤ちゃんは**死亡した状態で出産された「死産児」**と判断されました。
医学的には「自発呼吸を一度もしていない」新生児を死産と定義しますが、
今回のように、
- 袋に包まれていたこと
- 出産直後の処置の不自然さ
- そして排泄物と共に捨てられたこと
などを考慮すると、遺棄した側に何らかの事情・責任の回避意図があったことは明らかです。
第4章:母親は誰だったのか?
最大の謎は、「この赤ちゃんを産んだ母親が誰なのか」です。
事件当時、以下のような背景が考えられました:
▸ ① 未成年・未婚女性
家庭や社会の目を恐れ、妊娠を隠し、病院にもかからず出産。結果、死産や新生児死亡となり、発覚を避けるため遺棄。
▸ ② 貧困・DV環境の女性
パートナーや家族からの暴力により、妊娠や出産がタブー視された。出産を隠蔽するしかなかった可能性。
▸ ③ 無戸籍・無保険状態の妊婦
医療機関へのアクセスがなく、出産・死亡・届出のすべてから切り離された存在。
こうした人々は、当時の制度上“いないこと”にされやすかったのです。
いずれにせよ、母親の行動の背後には、制度や社会の冷たさがあったことは否定できません。
第5章:行政による“無縁の弔い”
この赤ちゃんは、身元不明で引き取り手がなかったため、
火葬に付され、逗子市の無縁墓地に納骨されました。
これは、**戸籍法第50条・58条の対象外(死産)**であるため、名前が付けられることもなく、
戸籍にも一切記録が残らない“無名の命”として処理された形です。
行政により「火葬・納骨」という形で弔われはしたものの、
この赤ちゃんの人生は、この記録がなければ“なかったこと”として歴史に埋もれてしまうのです。
まとめ:袋に入れられた命、それでも“存在していた”
この事件は、単に死産児が捨てられたという話ではありません。
それは、制度に包摂されなかった命、
誰からも祝福されず、誰にも守られなかった命、
そして、社会から「排泄物」と同じように扱われてしまった命です。
それでも、彼女は確かに生まれた。
そしてその存在は、私たちが記録し、記憶する限り、「ここにいた」と証明され続けるのです。



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