第1章:霊園で見つかった小さな遺体
1988年(昭和63年)10月8日午後6時27分、大阪市平野区瓜破東にある瓜破霊園内で、新生児の男児の遺体が発見されました。通報を受けた警察と医師の確認により、赤ちゃんは生まれたばかりであったと見られ、**満年齢0歳(新生児)**と記録されています。
身長は48センチメートル、着衣なし。へその緒や胎盤については言及されていませんが、何よりも衝撃的だったのは、**死因が「窒息死の疑い」**とされていた点です。
場所は霊園内、すでに遺体を葬る空間の中。遺体を発見した人の通報によって明るみに出ましたが、誰が赤ちゃんをそこへ運び、殺害または遺棄したのかは一切不明のままです。
第2章:これは“殺人”ではないのか?
赤ちゃんの死因が「窒息死の疑い」とされている以上、殺人の可能性は十分にあります。
以下の点から、事件性は極めて高いと考えられます:
- 新生児は自ら命を絶つことはできない
- 着衣がなく、遺棄を隠す意図がある可能性
- 瓜破霊園という「死を象徴する場所」に放置されていた
- 身元を示すものが完全に排除されている
この状況から考えると、赤ちゃんは出産直後に殺害され、その遺体を誰にも見つからないように遺棄された可能性が極めて高いと推察されます。
しかし、事件当時は防犯カメラもなく、科学捜査の限界もあり、犯人特定には至らなかったようです。
第3章:なぜ名前が与えられなかったのか?──戸籍法第58条と運用の現実
これまでご紹介した類似事件では、自治体が戸籍法第58条に基づいて、身元不明の新生児に仮の氏名(例:「鈴木実」「佐藤栄次」)と本籍地を設定するケースがありました。
▸ しかし本件では「名前が与えられていない」
これはおそらく、以下の理由が想定されます:
- 捜査段階で殺人事件としての扱いが優先され、戸籍登録が保留された
- 自治体が命名を判断しなかった、あるいは後回しにした
- 捜査機関と自治体の役割分担が明確にされていなかった(当時の課題)
とはいえ、法的・倫理的観点からは、たとえ誰にも望まれずに生まれ、亡くなったとしても、その命に「名前」という証を与える行為は極めて重要な意味を持ちます。
第4章:「名前のない死」が突きつける社会の無関心
この新生児は、生まれた瞬間から社会に拒まれ、殺され、捨てられたといっても過言ではありません。
- 「親の事情」はどれほど複雑であったかもしれない
- 「制度の不備」はあったかもしれない
- しかし、生まれた命に対して最低限の尊厳すら与えられなかった
それは、この子の問題ではなく、社会全体の責任です。
親が名乗り出なければならない
でも、名乗り出る仕組みがなければ?
相談できる人がいなければ?
妊娠を告げた瞬間に排除される環境だったら?
こうした背景がある限り、この事件は個別の殺人事件としてだけではなく、社会の構造的欠陥として捉える必要があるのです。
第5章:火葬・納骨──“無記名”で終わる人生に、何を記録するか
遺体は検視・解剖ののち、大阪市の瓜破斎場で火葬され、身元不明者として納骨されました。
市は「心当たりの方は当区役所まで」と呼びかけましたが、家族・関係者は一切名乗り出ず、手続きは行政によって完了されました。
最期に残ったのは、**「男児」「新生児」「窒息死の疑い」**という事務的な記録だけ。
名前すら与えられず、戸籍も持たないまま終わった命。
この出来事を、私たちは単なる過去の悲劇として見過ごしてはいけません。
まとめ:誰も見なかった命に、いま目を向ける
この赤ちゃんは、生まれてすぐに命を絶たれ、誰にも看取られることなく、名前も持たずに火葬されました。
この現実を「仕方ない」と言うことは簡単です。
しかし、その言葉で済ませてしまえば、次の無記名の命もまた、同じ運命を辿ることになるでしょう。
いま必要なのは、「どうしてこんなことが起きるのか?」と社会が問い続けること。
そして、「そうならない仕組みを整える」ことです。



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