旧医院で見つかった「標本のような白骨」──それは本当に“誰か”だったのか

第1章:発見──人骨が見つかったのは、石川県珠洲市の廃医院

2023年6月27日、午後5時頃。
石川県珠洲市宝立町鵜飼の、すでに使用されていない旧医院の建物内で、木箱に収められた頭蓋骨と下顎骨が発見されました。

場所は「宝立町鵜飼3字45番地」。


骨の状態から判断しても、最近亡くなったものではなく、長期間、建物の中にあった可能性が高いと見られています。


第2章:白骨の状態と特徴──「標本」のように研磨された頭部

珠洲市が発表した公告によると、発見されたのは次のような状態の遺体でした:

  • 頭蓋骨1個
  • 下顎骨1個
  • 着衣および所持金品なし
  • 性別・年齢・氏名不詳

そして、注目すべき点は次の記述です:

歯牙に接着剤か塗料が塗布されている状況や、
頭部周辺が研磨され光沢を帯びている状況から、
医院において標本として使用されていたと思われます。

つまりこれは、医療や教育目的で作成・使用されていた「人体標本」である可能性が高いということです。

人骨を「標本」として扱うことは、日本では長らく行われてきた歴史があります。
医学教育、歯学実習、解剖学の学習などにおいて、実物の人骨を使った標本が一定の合法的範囲内で存在していたのです。

しかし、身元が不明なまま、木箱に入れられ、長年忘れられたように放置されていたという今回のケースは、極めて異例であり、ある種の倫理的・文化的な「境界」に触れています。


第3章:それは人だったのか──標本、人骨、そして誰かの命

最も深く問われるべきはここです。

「それは“標本”だったのか? それとも“人”だったのか?」

たしかに、見つかったのは研磨され、塗料が塗られた骨です。
しかし、その骨は間違いなく誰かの頭蓋骨であり、誰かが生きていた証です。

「標本としての人骨」が日本で用いられた歴史は長く、特に昭和期までは輸入人骨や身元不明の遺体が大学や医療機関に保管されていた例もあります。
しかし近年は倫理的見地から、「実物の人骨を用いることの是非」そのものが見直されつつあります。

今回のように、使用済み・放置された標本が「誰だったのか」も分からず、処理の手続きだけが進む現実は、命に対する敬意が制度的に置き去りにされていることを示唆しています。


第4章:行旅死亡人制度と行政の処理

珠洲市は、発見された人骨を「行旅死亡人」として扱い、以下のように公告を出しました:

本籍・住所・氏名・年齢・性別不明の白骨死体、頭蓋骨1個、下顎骨1個
死亡の日時、場所及び死因は不明。
木箱に入った状態で旧医院から発見されたもの。
医院で標本として使用されていたと思われる。
身元不明のため火葬に付し、遺骨は保管しております。

これは、法的には「遺体の一部=死体」として扱われ、誰にも引き取られない場合に市が火葬・保管を行うという制度的手続きです。

ただし、ここで問われるべきは、その骨が制度的には「標本」であっても、本来的には「命の痕跡」である」ということです。

公告の末尾には、次のように記されていました:

心当たりの方は、当市福祉課まで申し出てください。

つまり、たとえ標本として扱われていたものであっても、**「もしかしたら誰かが思い出してくれるかもしれない」**という希望が、この制度の根底にはあるのです。


おわりに:誰も思い出さない命を、なかったことにしないために

標本であっても、人骨は人骨です。
誰かの頭蓋骨であり、誰かが生き、死んだ証です。

それを「研磨された物体」「塗料を塗られた学術素材」とだけ捉えるか、
あるいは「人の一生の最終形」として向き合うか。
この違いは、私たちが死をどう扱うかという、社会の“哲学”そのものに関わっています。

この木箱に収められた骨は、医療教育の中で何かの役に立っていたかもしれません。
しかし、その後長い年月を経て、無名のまま忘れられていたとすれば、
今こそそれを記録し、言葉にして残すことが、私たちにできる最低限の責任ではないでしょうか。

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