第1章:光竜寺裏の防空壕で見つかった“静かな遺体”
1988年5月4日、午前9時15分。
横須賀市浦郷町一丁目22番地──光竜寺の裏手にある旧防空壕の中で、76歳の男性が亡くなっているのが発見されました。
氏名は「大山文夫」。
しかし、調査の結果、本名は金扶根(キム・ブグン)、国籍は「朝鮮」、つまり在日韓国人であることが確認されました。
所持品は以下の通り:
- 現金:93円
- 着衣:青の長袖セーター、灰色のズボン
- その他、身元を示す書類は不明
場所、状況、背景──すべてが、時代に取り残された人物の最期を示しているように見えます。
第2章:なぜ“防空壕”にいたのか?
昭和63年当時、防空壕という空間はすでに都市構造の中で忘れられた存在となっていました。
戦中・戦後には多くの人々の避難所であったその場所も、今や草木に覆われ、人が近づかない「廃墟」のような存在です。
なぜ金扶根さんは、そのような場所にいたのか?
以下のような背景が考えられます:
▸ ① 生活困窮・住まいを失っていた可能性
現金はわずか93円。衣服も質素で、明らかに生活に困窮していた兆候があります。
防空壕は、風雨をしのげる“野宿場所”として選ばれたのかもしれません。
▸ ② 故郷を遠く離れた「帰る場所のない人」だった
彼は1911年生まれ。日韓併合期に日本に渡った可能性があり、
家族・親族と縁を切って日本で孤独に暮らしていたことも十分考えられます。
第3章:「大山文夫」としての人生、そして“金扶根”という本名
大山文夫という名は**通名(つうめい)**です。
在日韓国・朝鮮人の多くは、日本名を使って生活してきました。
金扶根さんはおそらく、戦中・戦後の混乱期を通じて、
- 差別を避けるため
- 就職や生活の便のため
- 自らの意志によって
「大山文夫」という名を使っていたと思われます。
しかし最期には、本名「金扶根」として記録され、社会的なつながりを持たないまま亡くなったのです。
第4章:防空壕にいた“ひとりの韓国人男性”が語ること
この死は、単なる孤独死ではありません。
それは、以下のような「複合された死」でもあるのです。
- 国家から帰属を認められなかった在日の死
- 社会福祉から漏れた高齢者の死
- 空襲と戦争の記憶がこもる場所での死
- 孤独と名誉のあいだで揺れた個人の死
彼が防空壕を選んだ理由はもう分かりません。
しかし、「あえて誰も来ない場所を選んだ」ことには、強い意志が感じられます。
第5章:名前を知っている私たちが、記録し続ける意味
彼の名は「金扶根」。
日本での名は「大山文夫」。
そして、横須賀市の防空壕で最期を迎えました。
彼のように、“名前が残った行旅死亡人”は貴重です。
私たちは彼の存在を、
単なる記録ではなく、過去に生きた“個人の人生”として記憶する義務があります。



コメント