第1章:子どもの頭蓋骨が見つかった旧砂採取場跡
1988年5月18日、午後6時頃。
北海道釧路市大楽毛(おたのしけ)131番地1──かつて建設会社「丸共建設」の砂採取場だった跡地で、子どもとみられる頭蓋骨が発見されました。
- 推定年齢:7~10歳程度
- 性別:不明
- 残存部位:頭蓋骨、上歯の左右4・5・6番(犬歯と臼歯)
- 下顎骨は未発見
明らかに人骨であることは分かりましたが、死亡の時期・原因ともに不明とされ、事件性の判断もつかないまま扱われました。
第2章:「ウタリ納骨堂」とは何か?
この遺骨は、最終的に釧路市の「紫雲台ウタリ納骨堂」に安置されています。
ここで注目すべきなのが、「ウタリ」という言葉の意味です。
▸ ウタリ=アイヌ民族の旧称
「ウタリ(Utar)」とはアイヌ語で「仲間・同胞」を意味し、かつてはアイヌ民族を指す公的表現として用いられていました。
現在では「アイヌ民族」という呼称が主流ですが、1980年代までは「ウタリ協会」などの団体名でも使用されていました。
このことから、紫雲台ウタリ納骨堂は、アイヌの人々の遺骨や無縁仏を丁重に弔うための場所と考えられます。
第3章:なぜアイヌの子どもと推定されるのか?
遺骨の発見現場が釧路であり、なおかつ**「ウタリ納骨堂」に収められた**という事実は、以下の可能性を示唆します。
▸ A. 発見された骨の形状や埋蔵環境に民族的特徴があった
過去の研究では、アイヌ民族の骨格や歯の構造には一定の民族的特徴があるとされてきました。
▸ B. 遺骨の発見場所が旧アイヌ集落の近くであった
大楽毛周辺には、かつてアイヌ民族が居住していた集落や墓地が存在したとされており、掘削や開発の過程で遺骨が地表に出た可能性があります。
▸ C. 身元不明児童として行政ではなく「ウタリ側」が弔った
行政がアイヌ協会などに依頼し、文化的配慮をもって納骨したケースとも考えられます。
第4章:この子は、なぜここにいたのか?
この子どもの遺骨がそこにあった理由は、以下の3つが考えられます。
▸ ① 江戸〜明治期のアイヌ墓地だった
かつての砂採取場跡地は、実は旧墓地だった可能性があり、
長年の風化や掘削によって骨が露出した可能性があります。
▸ ② 近代以降の無縁児童の埋葬地だった
社会的に孤立した子ども、あるいは行旅病人の子、捨て子などが、人知れず埋葬された可能性。
▸ ③ 戦後の混乱期に非公式に埋葬されたケース
住宅事情・行政の目を逃れて、口伝や地域の慣習で埋葬された事例もゼロではありません。
ただ、どの場合でも、子どもが誰にも看取られずに亡くなったという現実が残ります。
第5章:名前も知られず、記録も残らず──私たちはこの子をどう記憶するか
性別もわからない。
年齢も正確ではない。
骨の一部しか残っていない。
けれど、この子は確かに「ここにいた」のです。
そして、その小さな命は、
今、「ウタリ納骨堂」という静かな場所で眠っています。
民族性を超えて、
制度や戸籍を超えて、
誰かの子であったこの命を、記録として残すことには大きな意味があります。



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